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第二次世界大戦前夜の1939年

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[第二次世界大戦前夜の1939年]2016.3.1

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 前回、第一次世界大戦はどうして勃発したかというコラムを書き、そこでも第二次世界大戦はヒットラーの野望により生じたことは争うことなき事実と書きました。それでも、ヒトラーがしゃにむに他国を侵略していったわけではなく、幾つかのターニングポイント、特に英仏、ソ連との関係でここを乗り越えたから戦争に至ったという事件があったわけです。今回、ちょっと古い岩波新書ですが、笹本駿二著「第二次世界大戦前夜」という本を読みまして、そのターニングポイントとなった1938−1939年を改めて整理してみて、現代にもつながるものがあると感じた次第です。

 ナチス率いるドイツは、1938年3月にオーストリアを併合して、さらに東方への領土拡張を企図していました。地政学的にチェコスロバキアは、西方領土がドイツ側に突き出ている形であり、ドイツに接するズデーテン地方(いわゆるボヘミア地方の一部です。)には、ドイツ系住民が多く、そこでナチスドイツは、ドイツ系住民を保護するという名目で、ズテーテン地方への侵攻を目論みましたが、当然チェコスロバキア政府としては反発して、両国間での緊張が高まったところで、第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件の二の舞を避ける意図もあったのか、英仏がこの問題解決に介入しました。
 特に、英国首相のチェンバレンが積極的に乗り出したのはいいのですが、ミュンヘンで行われたヒトラーらとの会議により、何とズテーテン地方をドイツに割譲するという約束をしてしまったのです。勝手に人の国の土地を処分すること自体驚きですが、ヒトラーにこれ以上領土要求をしないことを条件としたということでどこまでお人好しかと思うほどの約束が1938年9月に締結されたミュンヘン協定でした。現在でも我が国がどこかの国と「もうここまでですよ。これ以上、平和を乱す行為をしてはいけませんよ。」と約束しても守られないということがありますよね。また、ロシアが、ロシア系住民の意向だということでクリミアを併合してしまったのも、ナチスドイツのズテーテン併合とよく似た話ではありませんか。

 お人好しのチェンバレンはロンドンに戻り、英国民にこれで戦争が回避できたと自慢していたのもつかの間、他国とした約束をヒトラーが遵守するわけもなく、1939年3月には、ズテーテン地方以外のチェコスロバキアに武力進攻してしまい、支配下におさめてしまったのです。これは、外堀を埋めさせて本丸を陥落させた徳川家康の大坂冬・夏の陣と似たようなところがありましょうか。ここに至り、一番ナチスドイツに対して危機感を持ったのは誰でしょうか。本来、英仏両国が危機感を高めなければならないのですが、一番危機感を持ったのは、ソ連のスターリンでした。なによりも、ヒトラーは自分の著書「わが闘争」において、東欧ロシアの土地資源がドイツの生命線である(戦前の日本でも松岡洋右が満州は日本の生命線と身勝手なことを言っていたのとおなじですね。)と述べていましたし、ナチスの党是は反共でしたから、このままヒトラーの思い通りにさせたら必ずやソ連領まで攻めてくると確信したのです。
 お人好しチェンバレンもさすがにミュンヘン協定を半年で破ったドイツに対しては、これ以上思い通りにさせてはならないと思い、ドイツを西から英仏で、東からソ連で封じ込めればヒトラーも今度こそ自制するだろうと考えまして、スターリンとの英仏ソ連合成立を目論んで交渉を開始したのですが、スピード感もなく、権限ある者も派遣せずという具合でスターリンとしては、英仏は本当にソ連と連合を組むという気があるのかと疑心暗鬼になってしまいました。そのあたり、情勢を読むのがうまいというか、スターリンの心を読むのがうまいというか、ヒトラーから独ソ不可侵条約締結を持ちかけて、何と1939年8月に同条約を締結してしまったのです。これには、チェンバレンのみならず、日本の平沼騏一郎首相もたまげてしまい、「欧州の情勢は不可解」と内閣総辞職してしまったぐらいのインパクトあるニュースでした。
 この独ソ不可侵条約において、相互に侵略しないことを明記したのですが、この条約には裏協定ともいえる秘密議定書があり、そこには、バルト三国、ルーマニアの一部、フィンランドをソ連の勢力下に置くことを認め、独ソでポーランドを分割することを裏取引していたのです。ソ連というか、ロシアという国は大国のくせに自国の領土保全には極めて神経質であり、特にヨーロッパ勢力と直接境界線を接することを極端に嫌う傾向があり、それが、この1939年8月の独ソ不可侵条約およびその秘密議定書締結につながったのではないかといわれています。すなわち、ソ連としては英仏と組んだとしても、ヒトラーの東方侵攻の野望はくじけないのであれば、逆に悪魔との間で不可侵条約および緩衝地帯を設ける裏協定を結んだ方がよほど自国の安全保障につながると考えたのでしょう。しかしながら、悪魔は悪魔でしかなく、人との約束を遵守する気はさらさらなく、結局、ミュンヘン協定を破ったのと同様、ヒトラーは、1941年6月にソ連に侵攻していくのです。独ソ不可侵条約により、まずナチスドイツは、東側の脅威を抑え、英仏との戦いに専念できる体制を整えたということで、結局この独ソ不可侵条約締結が第二次世界大戦の引き金を引いた、ヒトラーの開戦の決意をさせたと評価されるのです。

 これらの歴史から学ぶとすれば、約束を守れない人といくら約束をしても意味が無いということがまず言えるとして、約束を破られた国とすれば、「では自分も約束を守らなくてもいいんだ」という発想につながり、ソ連でいえば、1941年に日本と結んだ日ソ中立条約を、1945年8月になり破棄し、対日参戦して現在でも北方4島を占領継続していることはご承知のとおりです。また、ソ連が崩壊し、ロシアとなった現在でも、ヨーロッパ諸国、すなわちEUと国境を接することになることには極端に警戒心を持ち、上述したとおり、クリミアは併合するは、ウクライナが西側に行かないように徹底的に干渉するはなど、民族の持つDNAは変わらないということでしょうか。
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