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改めて原発事故を考える

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[改めて原発事故を考える]2014.1.1

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 新年あけましておめでとうございます。平成で言えば26年といつの間にか、平成時代も四半世紀を超えるということですか。時の経つのが早いことを感じさせられます。

 旧年中に、福島第1原発の賠償請求の関係で、富岡町に出張しました。富岡町は、事故後ずっと警戒区域に指定され、区域内への立ち入りが禁止されていましたが、現在は、制限が緩和され、帰宅困難地域となったところでも、日中の自宅整理などの用事がある人は月1回の立ち入りが可能となっており、私も富岡町民の被害者と共に立入申請・通行申請を行い、富岡町入りしたというものです。
 まず、いわき駅に到着し、車で北上していくのですが、一見何も変わりのない地方の風景が続き、これが原発事故で被害を受けた地域なのかと思っていましたら、福島第2原発に到着し、ここが立ち入りのための中継基地となっており、何か国境通過ゲートのような結構重々しい雰囲気の受付場所に通されました。ここでまず立入許可等のチェックを受け、防護服一式を貸与され、あわせ、線量計も渡されて、帰宅困難地域からの退出後に被ばく線量のチェックを受けるとのことで、いよいよ帰宅困難地域に入るのだという緊張感が高まってきました。第2原発の中継基地を越え、ほどなく進みますと、バリケードが見えてきて、検問を行っていました。通行証・身分証明書を示して、検問所を通過しまして、いよいよ富岡町に入っていきました。
 まずは、被害者の自宅に向かいましたが、車中で防護服に着替え、マスクもし、手袋、靴にはビニールのカバー(最近刑事もののドラマを見ると、刑事さんが事件現場で履いている靴カバーのようなもの)を履いて万全の態勢で外に出ました。津波でやられた地域ではないので、地震そのものの被害は、確かに灯篭とか倒れやすいものは倒れていましたが、建物そのものはさほど被害があるようにも見えませんでした。次に、被害者が富岡町で経営していた会社の本社に向かいましたが、人っ子一人歩いていない状況で、ここは原発事故前はどの程度にぎわっていたのか思いを巡らしていました。本社近くには、有名な桜並木の道があり、春には大勢の人が出て賑わっていたのでしょう。その後、富岡町の繁華街だった地区に向かいましたが、商店街が本当にゴーストタウンのようになっており、目にした生物は、黒豚(正確に言うと、飼われていた豚とイノシシが交配したイノブタ)が群れをなして闊歩していました。商店街を下っていきますと、常磐線の富岡駅に到着したのですが、海岸にもう近いところでしたので、駅舎は津波で流されてしまい、改札口の鉄骨パイプしか残っておらず、このあたりも津波被害がひどかったのがよくわかります。人一人いないプラットホームの先に海が見え、しかし、何とも言えない静けさの中で、自然だけは変わらずという風景で何とも感想が言えない気持ちでした。
 富岡町での作業を終了し、時間内にバリケードの検問所を出て、また第2原発の中継基地に戻り、足の裏までスクリーニングされて、線量も各自記録されて帰ってきました。いわきの町は、それなりに人出もあり、つい30キロ北ではゴーストタウンになっているのにと、阪神大震災の時に神戸の街ががれきとなっても大阪は通常通りの賑わいだったというニュースを思い出した次第です。

 富岡出張を機に改めて原発事故に思いをはせますと、なぜこうなってしまったかということを考えずにはいられません。自然はそのままのように見えても人間としての活動が全くできなくなるという過酷な状況がこれからも何十年と続くかと思うと、今回の過ちを徹底的に反省材料としなくてはならないでしょう。私は、あまりに政府・東電とも「無誤謬主義」「絶対安全主義」にとらわれすぎていたのではないかと考えます。
 すなわち、原発建設に当たり、地元住民への説明のためもあるのでしょうが、「原発は絶対安全です。万が一、事故が起きても安全装置が起動して、冷温停止します。」と説明していたにもかかわらず、結局、安全装置が起動せず、水素爆発を起こしてしまったということで、あの説明は何だったのかということになってしまいました。思いもよらない全電源が喪失してしまうという事態が発生したからですが、何でもかんでも“想定外の津波が来たから”ということで片づけてしまっては今後の反省にならないと思います。「無誤謬主義」「絶対安全主義」の人たちにありがちなのは、自分たちにとって不都合な事態というのは発生しないという考え方なのですね。戦前の軍部のように、中立条約があるからソ連は攻めてこない、または、社民党の人のように、平和憲法があるから非武装でも他国は攻めてこないというのと同じではないでしょうか。そのような教条主義的、硬直的発想だったからこそ、全電源喪失した後に、電源車が原発に向かったが、原子炉電源のプラグのボルト数と、電源車のボルト数が違って電源供給できなかったというお粗末なことになってしまうのではないでしょうか。
 この点、現在、柏崎原発の再稼働について、東電と新潟県との間で協議が進行中ですが、フィルター付ベントによる排気実施について、泉田知事はそもそもそんなものを許さないと言っていますし、東電側は事前に新潟県に了解を頂いて実施できると言っており、一体どうなっているのかやぶの中状態です。しかしながら、今までは「絶対大丈夫」だったのが、時と場合によっては放射性物質を含んだ排気を外に出すこともあり得ますというのであれば、考えようによっては東電も「無誤謬主義」「絶対安全主義」から少しは脱却する方向なのかもしれませんが、やはり、説明責任が足りないところが泉田知事の説得まで行っていないのではないかと思う次第です。今回の出張で色々と感じたことをつらつらと書かせていただきました。
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