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南都七大寺訪問記 |
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[南都七大寺訪問記]2026.2.1
昨年12月初旬に奈良市を訪問し、いわゆる南都七大寺を訪問しました。南都七大寺というのは、奈良時代に平城京およびその周辺に存在して朝廷の保護を受けた七官寺で、東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺を指します。すでに、東大寺、薬師寺、法隆寺は何度も訪問していたので、今回は、興福寺、元興寺、大安寺、西大寺に加え、法華寺、海龍王寺を合わせて訪問しました。
一日目は、東京から名古屋まで新幹線で行き、名古屋から関西本線で奈良まで行くというマニアックなルートを取りまして、到着後、JR奈良駅でレンタサイクルを借り、まず一番近い興福寺からアタックすることとしました。JR奈良駅から観光客でにぎわっている三条通をまっすぐ行きますと、右に猿沢池が出てきて少し登ると興福寺の南に至りました。興福寺は、藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて大和国に多数の荘園を持ち、その財力で僧兵などを雇うなど強大な勢力を誇った歴史があります。なお、「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。訪問時、有名な五重塔は修復中でして、足場のネットに覆われて全景を見ることはできんなかったのは残念でした。興福寺には、建造物として、東金堂、五重塔、三重塔が国宝に、大湯屋、南円堂が重要文化財に指定されています。仏像など多数の国宝、重要文化財を所有しており、国宝館という建物に収蔵しています。今回、国宝館も訪問し、なんといっても有名なのは阿修羅像でして、少年か少女かという風貌なのにこれが戦う神として位置づけられているのは何とも言い難い印象でした。阿修羅像の他にも八部衆立像はそれぞれ人間臭い、ということは親しみが持てる立像でした。興福寺では、東金堂、中金堂を見て回りました。 次に、興福寺から観光客が集う「ならまち」を南下し、元興寺に向かいました。元興寺は、奈良町の南端といえる場所にありました。今でこそ寺域はこじんまりとしていますが、最盛時には、猿沢池の北、東大寺までの広い地域が興福寺の寺域で、猿沢池の南の現在の奈良町エリアをすっぽりと囲むエリアすべてが元興寺の寺域だったという、昔は相当大きな寺でした。それもそのはずで、元興寺は、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院であり、飛鳥にあった薬師寺、厩坂寺(のちの興福寺)、大官大寺(のちの大安寺)らと一緒に新都へ移転したものであり、朝廷からも別格の扱いを受けていたものです。境内も狭くなってしまいましたが、それでも本堂、禅室が国宝に指定されています。本堂、禅室でおもしろいのは、屋根の瓦が奈良時代のものから、平安時代、鎌倉時代のものがそれぞれの時代に焼かれた色がパッチワークのようにまだらになっているところです。注目すべきは、“建物”としての国宝は、五重小塔があります。収蔵庫の中に入ってみますと、ちょこんとした五重塔が安置されておりました。奈良時代の高さ5.5メートルほどの小塔ですが、内部構造まで省略せずに忠実に造られており、「工芸品」ではなく「建造物」として国宝に指定されているとのことで、現存唯一の奈良時代の五重塔の建築構造を伝える資料として貴重で、かつては「小塔院」の建物小塔堂内という屋内にあったため傷みが少なく、まるで最近に復元されたかのようにきれいな“建物”でした。 一日目最後に訪れたのは、大安寺です。元興寺からさらに南下して、JR京終駅(難読駅名で、“きょうばて”と読みます。どうやら、平城京(外京)の南端に位置することが由来とされています。)を右折して、西の方に向かい、1キロほど自転車をこぐと大安寺が出てきました。大安寺の歴史も古く、舒明天皇の時代の639年に、百済川のほとりに百済大寺という日本最初の官寺として創建され、天武天皇の時代に高市大寺(“たけちだいじ”とよみます。高市早苗首相もこのあたりの出身なので、由緒ある名前なのでしょうか。)となり、677年には大官大寺と改称されました。平城京遷都に伴い、和銅3年(710年)、飛鳥地方にあった寺院のうち、法興寺は元興寺として、薬師寺は遷都後の薬師寺として、厩坂寺(うまやさかでら)は興福寺として平城京へ移転し、大官大寺も平城京左京六条四坊の地へ移転し、改称して大安寺となったというのが由来です。大安寺も平城京に移転してきた時期は非常に大規模な伽藍を有していたのですが、平安時代以降は寺勢が傾き、また火災などで堂塔が焼失したりして、本堂、嘶堂(いななきどう)などが残っていますが、いずれも近代の建物です。したがって、建物指定の国宝もなく、仏像についても国宝はなく6体の仏像が重要文化財として指定されているだけなのは寂しいところです。ということで、一日目は、大安寺までとしてレンタサイクルは、JR奈良駅で返却しました。 二日目は、またJR奈良駅でレンタサイクルを借り、まずは法華寺を目指しました。法華寺は、平城宮後の東側に存在し、隣接して海龍王寺があります。法華寺は、藤原不比等の邸宅跡に造られた光明皇后ゆかりの門跡尼寺として知られており、東大寺が各国の国分寺の総国分寺であったのに対し、法華寺は各国の国分尼寺の総国分尼寺として位置づけられ、正式には法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)と称するものです。法華寺が所蔵する国宝としては、木造十一面観音立像が有名であり(ただし、平素は非公開ですが。)、他には木造維摩居士坐像、絹本著色阿弥陀三尊及び童子像があります。東大寺は現在においても広大な敷地を有していますが、法華寺はきっと奈良時代には広大な伽藍だったのでしょうが、今ではあまり広いとは言えず、それでも本堂、鐘楼(鐘楼堂)、南門が重要文化財として指定されています。 次に向かったのは、海龍王寺ですが、法華寺に隣接していて、壁一つ隔てて向こう側にあるという感じでした。海龍王寺(かいりゅうおうじ)は、光明皇后の発願で光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺(すみでら)の別称があり、元は法華寺と同じ敷地であったということになります。収蔵物では何といっても、国内最小の国宝五重塔である五重小塔です、前述したように元興寺にも国宝の五重小塔がありましたが、両方ともあくまでも“建物”としての扱いです。海龍王寺の五重小塔は、元興寺の五重小塔より古い8世紀前半頃のもので、細部様式が薬師寺の三重塔に類似していることから奈良時代建築の様式を知るうえで重要なものとのことです。国宝の五重小塔の他には、西金堂、経蔵、海龍王寺の本尊である木造十一面観音立像が重要文化財に指定されています。なかなか落ち着いた感じの寺でした。 最後に向かったのは、近鉄の駅名にもなっている西大寺です(安倍晋三首相の狙撃事件の現場が、近鉄西大寺駅の北口広場でしたが、実際に見てみるとあまり広い場所ではありませんでしたが。)。海龍王寺からは、平城宮跡を横切っていくことになりますが、復元された第一次大極殿などを横目で見ながら自転車を快走しました。西大寺は、奈良時代に、孝謙上皇(後に、重祚して称徳天皇となりますが、妖僧道鏡との“ロマンス”で有名ですね。)の発願で建立されました。ご多分に漏れず平安時代には衰退したのですが、西大寺が他の七大寺と異なるのは、鎌倉時代に叡尊という僧侶が、西大寺を真言律宗(戒律を重んじる南都六宗の律宗と密教の真言宗を融合させたといえばいいでしょうか)の総本山として再興したことです。国宝も絹本著色十二天像含め7点、重要文化財も本堂など多くの仏像他を所有しており、さすが真言律宗の総本山といえましょうか。 ということで、今回の旅は南都七大寺プラスアルファのコンプリートが達成できました。皆さんもレンタサイクルを利用することで、行動の範囲が広がりますので、是非ともご活用ください。 |
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