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ブルドックソース事件を今振り返る

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[ブルドックソース事件を今振り返る]2013.3.1

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 現在、M&Aに関する判例についての勉強会を行っており、先日テーマとなったのが「ブルドックソース事件」の最高裁判例でした。平成19年8月の判例ですので、もう約6年も前の事件かと時間の経つのが早いことに驚くとともに、今振り返ってみますと、この事件は現在の日本が歩んでいる道の分岐点となった事件ではなかったかと思う次第です。

 まず、本事件の概要を簡単におさらいしますと、東証2部に上場していたブルドックソースに対し、約10.25%の株式を保有していたスティール・パートナーズが経営権取得を目指してTOBを仕掛けたのに対し、ブルドックは、TOB期間終了前に、買収対抗策を策定し、定時株主総会で総議決権の約83.4%という多数の賛成により可決承認したというものです。
 どのような買収防衛策かといえば、簡単にいうと、すべての株主に1株あたり3個の新株予約権が無償で付与されるものの、「非適格者」ではない一般株主は付与された新株予約権の対価としてブルドックの株式の交付を受けるのに対し、スティールは「非適格者」として新株予約権の行使ができず、対価としてブルドックの株式が交付されないというかなり差別的な防衛策といえます。そこで、スティールから「買収防衛策は株主平等原則に違反すること」「買収防衛策は著しく不公正な方法」であることを理由として同新株予約権発行仮差止めの請求を申し立てたものでした。
 最高裁判所は、ブルドックの買収防衛策は株主平等原則に違反せず、かつ、著しく不公正な方法ではないとして、ブルドックの発行仮差止請求を棄却しました。そして、著しく不公正な方法ではないということの理由として、株主平等原則に違反しないということを挙げていますので、実質的には株主平等原則違反かどうかという点が論点ではないかと考える次第です。スティールのような買収者に対する差別的な買収防衛策の有効性については、意外とこの判例までに最高裁判所が判断したものがなく、初めての判断となったという“法の世界の意味”ではエポックメーキングな判例といえます。

 当時、私は、ブルドックの買収防衛策はよく考えられているなあと思っていました。というのも、差別的ではありますが、スティールに対しては、株式を交付する代わりに“スティール自身”が提案したTOB価格に基づく金銭を支払うことを内容とする条項があり、何よりも取締役会決議だけではなく、株主総会で“圧倒的”多数を以て買収防衛策を決議しているということで、なかなかこれでは裁判所もNOと言えないなと思いましたので、最高裁判所の決定が出たときはさもありなんと思っていました。
 しかしながら、6年もたってから振り返りますと、特に株主平等原則違反の観点からは果たして最高裁判所の判断が正しかったのかということを考えるようになりました。最高裁判所の理由付けは次のようです。すなわち、買収者を差別的に取り扱う買収防衛策であっても、特定株主による経営支配権の取得により株主共同の利益が害されるような場合には、その防止のために特定株主を差別的に取り扱っても、公平の理念に反し、相当性を欠くものでない限り、直ちに株主平等原則の趣旨に違反しないというものです。このように言われると言われた当座はなるほどねと思って納得してしまいますが、果たしてそうでしょうか。

 そこで考えたのが、いきなり憲法の話になり恐縮ですが、言論の自由の国家権力による制約の合憲性です。言論の自由というのは、民主主義国家を支える極めて重要な基本的人権(精神的自由権)です。そうだからこそ、言論の自由を国家が制約するのは必要最小限の範囲でしか認められないという極めて厳格な考え方があります。特に民主主義国家の先鋭といえるアメリカでは連邦最高裁判所においても合憲性の判定基準が積み重なっています。私は考えるに、株主としての権利というのは決して精神的自由権と同じに考えられないにしても、会社の支配権という器の中では、少なくとも株式市場に上場している公開会社の器の中においては、基本的にはどのような考えを持った株主であっても平等に扱われるべきであり、その意味で株主平等原則は公開会社制度を支える極めて重要な原則であると言わざるを得ないと思うのです。
 そうだとすれば、特定株主を差別する(すなわち制約する)ことが正当化されるのは、必要最小限というべきであり、“公平の理念に反し、相当性を欠くものでない限り、直ちに株主平等原則の趣旨に違反しない”というような全く明確性を欠くような、裁判所のさじ加減次第という恣意的な判断基準で株主平等原則違反を判断するのはいかがなものかと思うのです。この理は、たとえその特定株主以外の“ほとんどの株主”が賛成したとしても奪われることのない平等に扱われるべき権利であると思います。

 この事件に関する最高裁判所の判断が出てから後、外国から日本に投資しようというトレンドは全くと言っていいほどなくなったのではなかと思います。外国の投資家がどこまで明確にこの判例の意義を認識しているのかはわかりませんが、投資家としての感覚として、日本というのは、ソースメーカーですら裁判所までが恣意的な判断基準で保護しているんだというおぼろげながらでもそのような認識を持ってしまったのではないかと思います。その意味で、決して裁判所も外資よりも内国会社の肩を持った判断をしたとは言いませんが、結果的に、ブルドック側の代理人弁護士の手際が良かったため、分水嶺をなす判例を形成してしまったのは、我が国にとってプラスだったのか、マイナスだったのか、そろそろ結論が出るのかもしれません。

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